児童たちの英語の基礎力を育むには
英語には、聞く・話す・読む・書く、そして文法という複数のスキルがある。これら五つの柱は独立しているわけではなく、互いに密接に関連している。これまでの日本の英語教育は「訳すための英語」であり、「話すための英語」という印象はあまりない。読み書きを中心に指導されてきたため、読解力のある学習者は多いが、聞いて話せる人は決して多くありません。
ここで、私自身の英語力を例に考えてみたい。私はリスニング力に比べてスピーキング力が明らかに劣り、体感としてリスニングの半分程度しかありません。なぜそのような差が生まれるのであろうか。一般に第二言語(≒外国語)は、インプットされたものを知識として定着させ、最終的にアウトプットにつなげるプロセスを経て習得されると言われている。私の場合、語彙・発音・文法といったインプットは十分とは言えないまでも一定量はある。しかし、アウトプットできる量はインプット量によって決まり、しかも必ずインプット量より少なくなるとされる。自分の経験を振り返ると、この理論に強く納得する。私の課題は、いかにアウトプット力を高め、日本語を介さずに反射的に英語が口から出る状態に近づけるかである。
さて、今回の対象は大人ではなく小学生の児童たちだ。彼らはまだ具体的な知識やスキルを持ち合わせていない。だからこそ、我々大人の指導方法は極めて重要であり、誤った方向に導いてはならない。英語力を支える重要なスキルは語彙・文法・発音の三つだが、児童期に最も重要なのは発音である。語彙や文法は学習を通して徐々に身につくが、発音に関しては「9歳ごろが最初で最後の機会」と言われている。
ここで、言語学における「臨界期」について触れておきたい。「臨界期」とは、人間の脳が特定の学習に最も適した時期があり、その時期を過ぎると習得が難しくなるという考え方である。認知発達全体では思春期が始まる12歳ごろまで、特に言語能力の発達については8~9歳ごろまでが臨界期とされる。この考え方は「臨界期仮説」と呼ばれ、Eric Lenneberg(1967)が『言語の生物学的基礎』で提唱した。では、日本人が外国語として英語を学ぶ場合にも臨界期は存在するのだろうか。私は植村研一氏の『脳科学から見た効果的多言語習得のコツ』(認知神経科学、Vol.11 No.1, 2009)に出会い、臨界期の存在を強く意識するようになった。氏は次のように述べている。『新生児の大脳皮質の脳細胞は、ほとんど神経回路網を形成していない。生後の学習体験によって神経回路網が完成していく。乳幼児期に基本形が完成し、その時までに使用されなかった脳細胞は喪失すると考えられている。臨界期を過ぎると、それまで習得しなかった言語の発音の習得は不可能に近くなる。完全なバイリンガルになれる臨界期は5~6歳とされる。』ここまで読んでいただければ、いかにこの時期の適切な音声指導が重要であり、児童たちの将来の英語力に大きく影響するかをご理解いただけるだろう。
しかし残念ながら、この音声指導には大きな壁が存在する。文部科学省の新学習指導要領には次のような記述がある。
「音声と文字を関連付けて指導すること」(文部科学省、2018, p.130)
一方で、「発音と綴りを関連付けて、発音と綴りの規則を指導することを意味するものではない」「発音と綴りの関係の指導は中学校の外国語科における指導事項」と明記されている。小学校の指導要領に「フォニックス」という語が登場しないことからも、この方針は明らかである。現状の音声指導は、チャンツ、CDの聞き取りドリル、ALTの発音を真似る活動が中心である。この方法では、聞き取れたり正確に発音できたりするのは一部の耳の良い児童に限られ、多くの児童は自力で調音法に気づくことが難しい。
私は、音声と文字の関係を教えながら、発音と綴りの関係を教えないという指導要領に大きな疑問を抱いている。児童たちの「読んでみたい」「発音してみたい」「読めた」「間違えた、そう読むのか」といった自然な学習意欲にブレーキをかけているのではないか。挑戦する姿勢の中にこそ「学ぶ瞬間」があり、そのプロセスこそが成長につながる。文科省は児童たちの潜在能力を過小評価しているように思えてならない。大人が一方的に彼らの能力や限界を決めるべきではない。適切な球を投げれば、児童たちは必ず応えてくれる。私の経験から、彼らには言語習得において無限の可能性があると確信している。
